吃音の病院に行った

初めて吃音の病院に行ったので、備忘録的に日記を書きます。

 

吃音の症状自体はずっと昔からあったのにどうして今更病院に行ったのかというと、大学に入って時間の余裕ができたこと、大学から配慮や支援を受ける場合は診断書が必要なこと、20歳を超えて「成人吃音」に分類され、自然治癒の見込みが薄くなったことなどがあります。

 

僕と深めに付き合ってる人の中にも、僕が吃音を持ってることに気づいていない・気にならない人は多いと思うんですけど、これは僕の吃音の種類が「難発吃音」だからという理由があります。

 

「は、は、は、はじめまして」と一文字目を繰り返してしまう「連発吃音」に対して、「…………はじめまして」と一文字目の発話が滞ってしまうのが難発吃音です。このタイプは悲しいくらいに誤魔化しが効いて、例えば「えーと、あのー」で間を持たせたり、そもそも詰まったら「なんでもないです」「忘れました」と言ったり(このせいで物忘れがヤバい奴だと思われることがある)。表面上では円滑に会話ができていたとして、僕の心中にはいつも次の言葉が言えないかもしれないという不安があって、それが物凄くストレスなわけです。白鳥の水かきみたいなものですね。

 

しかし吃音には絶対的な治療法(たとえば投薬や手術など)が無くて、故にあやしい民間療法みたいなものも多いので、今回は所沢にある国立の病院を選びました。結果としては正解だったと思います。そこそこ安かったし。4月に予約したら3ヶ月待ちだったので今時期になりました。まさかマスクをして行くことになるとは思わなかったな… 

 

所沢の栄え方が地元の松戸に似てたんですけど、そういうところに行くと並行世界みたいで不安になりますね。あと暮らしの膨大さに遠い目になる。

 

病院に入って受付を終え診察室の前で待っていると、症状の程度をチェックするための問診票?アンケート?的なものが渡された。かなり量が多くて驚いたけど、吃音の原因をさぐるのに大事っぽいのが後々わかったので、真面目に書いて良かったなと思った。

 

書き終えて提出したあと、少しチェックに時間がかかるようだったので、近くのコンビニに行った。久々の外出だったので気合を入れてポータブル充電器をフルにしたんですけど、繋ぐケーブルを忘れたので買いました。コンビニで売ってる電気小物って高い割にショボいので毎回落ち込みますね。あと杏仁豆腐を買って歩きながら食べた。

 

病院に戻って程なくして診察室に呼ばれた。医師から簡単な状況確認みたいなものを受けた。ここは風邪とかの病院と大差なかったと思う。

 

そのあと上の階に誘導されて、言語聴覚士の人から簡単なテストみたいなものを受けた。フラッシュカード的に出された単語を読み上げたり、文章を音読したり、質問に答えたりした。チェックのためにカメラが回っていたし、コロナ対策でフェイスガードを付けさせられたので、マジの被験者っぽくてウケちゃった。吃音が出なかったらどうしよう!とか思ったけど全然出たので良かったですね(良かったのか?)。 今後はこの言語聴覚士の人から治療?カウンセリング?を受けることが多くなるっぽい。優しそうな人なので良かった。

 

下の階に戻って、また診察室で医師からの話を聞いた。かなり情報量が多かったので色々忘れてる気がするけど、覚えてる範囲で書く。

 

まず僕の吃音症状の大部分は精神面によるものらしい(意外なことに吃音症は発達よりも精神障害に分類されることが多いらしいです)。そもそも吃音者は脳の回路に大なり小なりエラーがあるらしいんですけど、それを精神的な部分で増幅させてしまっているとのこと。つまり、元々吃りやすい体質であるにもかかわらず、吃りを過度に恐れることで、結果的に一文字目すら封じてしまっているということですね。スポーツで言うイップスとか、PTSDとかに近いんですかね?わかりませんが……。僕は「恥をかきたくない」「怒られたくない」みたいな気持ちが異常に強いんですけど、それが原因の一端みたいです。独り言を言ってるときってほぼほぼ吃らないんですよね。それは対人における恐怖や不安が無いからなので、独り言の精神状態をいつでも作るのが目標らしい。確かに僕は人と話すだけで心臓がバクバクするんですけど、普通はそんなことないですよね。会話へのハードルを下げたいな。

 

なので吃音を恐れているうちは良くならない。そこで「認知行動療法」で改善を目指すらしいです。あやし〜と思ったけど流石にちゃんとしてました。最初に言われたのが「吃音が出たところで客観的な実害は一切無い」ということ。僕が料理の注文に詰まったところで、世界に支障は無いということですね。そんなことわかってはいるんですけど、医者に言われるとちょっと心が晴れるので悔しいですね。権威主義? 「吃音が出ても別に問題はなかった」という成功体験を積むことで、吃音そのものに対する認知(恐怖心や嫌悪感)を変える目標らしい。「成功体験」みたいな言葉への警戒心が強いので、ヤバいセミナーか?とか思ったんですけど、国立病院がヤバいセミナーなわけないですね。途中で先生が「まあいきなり吃音を晒すのがつらいなら、最近は匿名のバーチャルリアルとかもあるから…」って言ってて、わたしがバーチャルYoutuber!?の気持ちになった。でも本当にアリかもねそれは……。

 

あと吃音者の人はわかると思うんですけど、喋ってる間って脳のリソースの5割くらいが「吃ったらどうしよう」に割かれてるんですよね。普通の人はそんなことなくて、話す内容とか、その他様々な情報に頭を使っている。その辺も改善すると良いらしい。なるほどね〜と思った。そういう意識の方向を制御する練習として、「マインドフルネス」という瞑想?を紹介された。これまたあまりにも響きが怪しすぎてウケたんだけど、ちゃんと医療行為として体系化されているらしいので安心しました。少し前に興味を持って調べてた「ヴィパッサナー瞑想」と似ていて、凄くざっくり言うと呼吸に意識を集中するような感じらしい(全集中?)。詳しい説明の紙をもらったから後でちゃんと読みます。

 

関係ないんですけど、カウンセリング中に音楽やってることを話したら、医師に「芸術をやってる人には訊くようにしてるんだけど、吃音者であることは創作に影響してる?」みたいな難しい質問されてウーンとなった。「自己表現という意味で、間接的には影響してるかもしれません……」って言ったんだけど、ロッキンオンのインタビューかよと思った。「苦難や葛藤が取り除かれたことで創作ができなくなったって後々言われても困るので……」みたいなこと言ってました。大変ですね… 

 

他にも細かいことは色々言われたんですけど、大体こんな感じでした。気の持ちようじゃねえか、とも思ったんですけど、精神病って気の持ちようですね。これらでどの程度改善するのかはまだわかりませんが、何が良かったかって指針ができたことですね。吃音の原因すらわからなかったので脳?喉?骨格?舌?肺活量?みたいな物理的要因なのか、精神的要因なのか、その辺りが明確になっただけでも心的な負担はかなり減りました。

 

あと吃音関係なしに臆病すぎる性格も治さなきゃなと思っていたところだったので、これを機にもっと恥をかく方向にシフトしても良いのかもしれないと思った。やっぱり暗さをアイデンティティにするのは良くないかもしれませんね。

 

病院には月一くらいで行く予定なので、また何かあったら書きますね。